土地や道路との境界に関するトラブルやお悩みについて、誰に相談したらいいかわからないという方のために、いろいろな事例を紹介しながら境界トラブル流についてのアドバイスを行うラジオ番組『境界トラブル解決ラジオ』を毎月第2火曜日に放送しています。
皆様からのご相談お持ちしております。
土地や道路との境界に関するトラブルやお悩みについて、誰に相談したらいいかわからないという方のために、いろいろな事例を紹介しながら境界トラブル流についてのアドバイスを行うラジオ番組『境界トラブル解決ラジオ』を毎月第2火曜日に放送しています。
皆様からのご相談お持ちしております。
地券(ちけん)ってご存じですか? どっかで聞いた気がするけど忘れた?
でも明治の「地租改正」なら、中学や高校の頃、歴史の教科書のどっかにあったなと。
下は本物の地券の写真です。千厩町で土地家屋調査士を開業されていた小野寺繁先生が所蔵されている貴重な地券の一枚です。
縦24.5センチ、横32センチ位でしょうか。小野寺繁先生のご先祖様のお名前が持主として表記されています。
色も当時は鮮やかな青だったかもしれません。 明治十年十一月一日の日付と岩手県知事の印影が元気です。(表と裏、拡大できます)
明治6年(1873年)の地租改正は、米の年貢から、現金の税金に切り替えた大改正です。
そのため明治5年から土地所有者・所在地番・地目・反別・地価などを記載した土地所有の確証として「地券」が発行されました。
それは土地価格の3% を税金として納めよという地租賦課の手段でもあった訳です。
[表]
土地所有者・所在地番・地目・反別・地価・地租などを記載した土地証文(権利書)であることがわかります。
所在の陸中國磐井郡松川村字野平は、現在の一関市東山町松川地内とのことです。
明治10年より百分の三(3%)から百分の弐ヶ半(2.5%)に地租が下げられていることがわかります。
地租改正に抗して農民一揆があり余所では「竹槍でどんと突き出す2分五厘」と詠まれた歌もあるそうです。
[裏]
明治十一年三月五日、小野寺正六さんが家督相続により所有権を得ていることがわかります。
但し明治19年に登記法が公布され、土地に関する権利の移転は登記を要することになり,地券は存在意義を失い明治22年2月をもって、地券制度は廃止されました。明治5年の壬申(じんしん)地券から僅か17年です。
明治22年は明治憲法発布の年ですから、明治憲法と同時に地券は廃止されたことになります。以後、地租の徴収は、土地台帳制度へと移行しました。
この土地台帳は,現在も全国の法務局で保管管理されており閲覧が可能です。現在の不動産登記のルーツはまさにこの地券にあったことがわかります。
お問い合わせの前にご確認ください。